+++6th. Discovery「時をかける少女」  

其ノ六【月は無慈悲に微笑むか】

 

 

 

 

 地下遺跡内、葦原中国(あしはらのなかつくに)の紀の最深部――。

 化人創世の間に、ひとり禅を組む真里野 剣介の姿があった。

 

 

「九龍 尚樹‥‥‥か」

 左の隻眼をゆっくりと開き、《転校生》の名を口にした。

 

 武士として、相手がどうあろうと自分は正々堂々と彼をたおすつもりでいた。

 それを実行するために、昼間、彼に死合いを申し込んだのだが‥‥、

話に聞いていた《転校生》像とは随分と違った印象を受けた事に困惑していた。

 

 それは、昨日の夜に話は遡る。

 

 

「参之『えい(A)』の川田だな?」

 

 青白く冷たい月の光が、狼藉者を容赦なく浮かび上がらせる。

 深夜の見回り。

 校舎に向かう人影を、先回りした真里之が中庭で待ち伏せる。

「だッ、誰だッ!?誰だよッ?隠れてないで出て来いッ!!」

「何故、このような時間に校舎の近くを歩いている?

 放課後に校内に入る事は《生徒会》の定めた校則で禁じられている筈だ。

 その禁を破ろうとする者は処罰しなければならない」

 

 川田と呼ばれた生徒の顔色が悪いのは、青白い月の光のせいだけではない。

 

「処罰って‥‥、まッ、まさか、お前は、執行委員ッ!?」

「だとしたら、どうする?」

「おッ、おい待ってくれよッ!!

 俺はただ忘れ物を取りに校舎の方へ来ただけだ‥‥、

 中には入ってないじゃないか?」

「規則を破る前に罰を下すのもまた《生徒会》の役目だ」 

 法に忠実なる審判者は、中世の魔女狩りのように不条理な罪を言い放つ。

 

「ふッ、ふざけんなッ!!」

 何でそんな規則に縛られなきゃならないんだよ。

 そもそも、生徒会が勝手に決めた校則を守る義務なんて俺たちにはないぜッ?

 そうだろッ?」

「この學園を支配しているのはただの生徒会ではない。

 《生徒会》という特別な者たちだという事を忘れるな」

「何が特別な―――、」

 なおも食ってかかろうとする生徒を鋭い斬撃が襲う。

 

「ぎゃァァァッ!!」

「安心しろ。峰打ちだ‥‥。

 お主には、他の生徒たちへの見せしめとなって貰う」

「うう‥‥」

 地面に倒れ気を失う男子生徒。

 いくら冤罪‥いや、未遂の刑への罰だったとしても、この程度で済ませて

貰えた事を彼は感謝せねばなるまい。

 真里野の本来の能力を考えれば‥だが。

 

「さすがだな」

 

 どこからとも無く、いつからいたのか、第三者の介入が始まる。

 その声は非常に耳障りで‥‥、だが、真里野はそれに動じることなく話は進む。

 

「これで正しかったのか?」

「もちろんだ。この生徒は規則を犯そうとしていた。

 悪は罰せられなければならない」

「‥‥‥」

 冷たい風が辺りを撫で回す。

 月光に浮かび上がる影。ようやく第三者はその姿をほんの少しさらす。

「甘い事を考えているのではないだろうな?

 規則を犯してからでは遅すぎるのだ」

「‥‥‥」

「世の中を見ろ。

 誰かが殺められてから、その加害者を処罰したとしても、使者は甦らない。

 戦争が起きてから、それを止めようとしても、失われた物は元には戻らない」

 仰々しく、オペラのごとく大袈裟な身振りで、いかにも正しく、最も

らしく演説する。

「起きてしまった事に対して何かをしようとしてそれにどんな意味がある?

 悪の芽は早い内に詰まなければならない。

 《生徒会》や《執行委員》によってな。

 この學園は《生徒会》の崇高なる秩序によって管理されるべきなのだ」

「秩序か‥‥」

「そうだ」

「‥‥‥」

 かすかな違和感に考え込む真里野。

 彼の中の何かが警戒音を発しているのだが、それを危険信号だと気付く前に、

無気味な影は会話によって思考を中断させる。

「そういえば、もうひとり―――悪の芽を発見した」

「‥‥‥‥?」

「3−Cの九龍 尚樹。

 先月、この學園に来た《転校生》だ」

「九龍だと?

 《執行委員》を次々とたおしているという強者か?

 実は、拙者も気にはなっていた」

「強者?」

 やたらと大袈裟なアクションを使ってまで意を唱える。

「そいつは、卑劣な罠を張り巡らして《生徒会》の者をたおし、

 自分がこの學園を支配しようと目論む――邪悪なる意思を持つ者だ」

「何と―――。

 では、たおされた《執行委員》は《転校生》の罠に嵌ったと?」

「そうだ」

「くッ、正々堂々と戦わず、奸計を仕組み陥れるとは、《転校生》め‥‥

 許せぬッ!!」 

「仇を討ちたいか?」

「無論だ」

「では、我が力を貸してやろう。二人で九龍を―――、」

「手助けは無用だ」

 黒い影の甘言を、いともあっさりと断る真里野。

「‥‥‥」

「拙者も武士の端くれ。

 正面から堂々と名乗りを上げ、堂々と勝負を挑み、見事、打ち破ってくれる。

 《執行委員》の名に懸けて‥‥な」

「相手は只者じゃない。そんな木刀でたおせるのか?」

 

 

 ふと、遺跡へ誰かが侵入する気配を感じ、回想を中断した。

「気配は‥‥‥、ひとつ‥か」

 どうやら九龍は、自分との約束を守るつもりなのかと思うと嬉しくなる。

 

「心配は無用だ。黒き影よ‥‥。

 たとえ九龍が、真の武士だったとしても。拙者の剣で切れぬものはないッ!!」

 

 

 

「おやぁ〜、残念。九龍君はいないのかぁ〜」

 物陰からこっそり男子寮を双眼鏡でうかがう不審人物は、残念そうに肩を落とす。

「うッ‥‥アタタタッ」

 鳩尾に走る鈍い痛みに、思わずしゃがみ込んでしまった鴉室 洋介28歳。

「くぅ〜〜ッ、痛てェ〜〜ッ‥‥」

 大人気なく呻いてしまう。

 

(まったく、最近の女子生徒は侮れねぇな‥‥)

 

 昼間、やむなく校舎に侵入した彼は、運悪く生徒に発見されてしまい、

使われていない教室に逃げ込んだところを、眼鏡の女子生徒に追い詰められてしまう。

 最初は、ただの女子生徒だと思い、後ろから目隠しをした所までは良かったのだが‥、

それはもう見事としか言い様の無い蹴りが、鳩尾にクリーンヒットしたのだった。

 まぁ、相手はただの女子生徒などではなく、

七瀬の身体に入れ替わってしまっていた九龍だったのだが、

鴉室はその事にはまったく気付いていなかった。

 そのため、今日も情報交換と称して、九龍に夕飯をたかろうと暢気に企んでいた。

 暢気に‥とは、彼には失礼だっただろうか。

 今日は、九龍にどうしても伝えたい情報があったのだった。

「くぅ〜〜、あの時あの部屋に辿り着いたのが、無気力高校生じゃなくて

九龍君だったらよかったんだがなぁ〜〜」 

 気力が尽きたのか、ゴロリとその場に寝転んでしまう。

「今日も無慈悲なまでに、お月さんが冷たく微笑んでやがるぜ」

 

(そう‥‥、昨日もこんな月だったんだよなァ‥‥)

 

 學園内をいつものように調査をしていた鴉室は偶然、奇妙な対話に遭遇したのだった。

 

(なんかクソ気味の悪ィ声が、サムライっぽい格好の生徒に‥‥。

 あれは真里野とかいう生徒だったか?

 そいつに九龍君の事をあれこれ、

 ある事ない事デタラメ言ってけしかけてやがったんだよな‥‥)

 

 真里野が中庭の石碑を、木刀で真っ二つにして去って行った後も、

鴉室はしばらく様子をうかがっていた。

 木刀で石碑を斬ったという、非常識な事態にも動じる事なく‥‥。

 

「単純なヤツだ」

 

 雲間の月光に照らされ、黒い影の中にポッカリと白い仮面があらわになる。

 顔の上半分を真っ白な仮面で覆った黒いマント姿。

 薄気味悪いという印象以上に、その発言に胸クソ悪くなる。

 

「だが、これでまた月の青白い光と共に、學園に渾沌の風が吹く。

 フッ。クククッ‥‥‥。

 《転校生》と《生徒会》―――どちらがたおれてくれても我にとっては好都合。

 學園の《幻影(ファントム)》が、かりそめの影から這い出て、

 この學園を支配する日も近い。

 

 しかし、

 石を木刀で真っ二つにするとは凄まじい《力》よ。

 《転校生》と《生徒会》の戦いを見物させて貰うつもりだったが、

 どうやら、《転校生》の命運もここで尽きる事になりそうだな。

 

 まァ、いい‥‥‥。

 そうなれば、別の手を使うまでだ。

 この呪われた學園を覆う闇はいたるところにある。

 クククッ‥‥。

 アーハッハッハッハッハッ!!」

 

 

 

「まったく‥‥‥、同じファントムでも随分と違うもんだ」

 地面に寝そべっていた鴉室は、ようやく起き上がる。

 

「ガストン・ルルー原作の『オペラ座の怪人』ファントムは、

 歌姫クリスティーヌに一途だったってぇ〜のに、

 こちらの《幻影(ファントム)》は浮気性だ。 

 まァ、もっとも‥‥、

 歌姫クリスティーヌ役なら、《執行委員》よか九龍君のが似合うけどな‥‥ッて、

 はァッ、はァ‥‥ッ、はッくしょいッ!!」

 

 残念。

 良い台詞も最期のくしゃみで台無しである。

 

「う〜寒ッ。こんな時はやっぱりコレだな‥‥」

 鴉室はゴソゴソと懐から、金属の水筒を取り出すと、グイッと一口あおる。

 途端、食道が焼けるように熱くなる。

 鴉室の喉を、アルコール度数の高い琥珀色の液体が通っていく。

 舌いっぱいに広がる心地の良い甘さと、鼻を抜ける上品な香りが上等な酒の証。

「ク〜〜ッ、たまらんねぇ〜ッ」

 それは以前、九龍からガメた高級ブランデーだった。

 本当は全部いただくつもりは無かったのだが、『未成年』というネタでからかって

いる内に、あんまりにも反応が面白いものだから、ついイジメてしまったのだ。

 

「ん〜、例の情報で少しはコノ件をチャラにできないかな〜と思ったんだけどなぁ〜」

 

 不純な動機もいいところである。

 

 

 

「クシュンッ‥‥、さッ‥‥寒ッ!」

 

 

 小さくクシャミをした主。九龍 尚樹は、地下遺跡――

葦原中国の紀(あしわらのなかつくにのしるし)、御山諸参道で水攻めに遭っていた。

 

「もう、嫌〜ッ!!」

 

 叫んだ所で事態が好転する訳ではなかったが、叫ばずにはいられなかった。

 作動した罠―――、エリア一帯に氷のように冷たい水が流れ込み、容赦なく九龍の

体温を奪っていく。一度、解除に失敗したせいで既に水は、腰の辺りまで迫っていた。

「海‥、田‥、河‥‥‥‥」

 もう一度、目の前の壁画を見つめる。

 けれど一向にその意味が、解除するための順序が解らない。

 入り口付近の石碑に、必ず解除の為のヒントがあるのだが、漢字の苦手な九龍

には解読することができなかった。

 では、今まではどうしてきたのか。

 それは九龍の中に、幼い頃より蓄積されていた日本神話の知識が役に立っていた

のだった。専門的な歴史書は、当時幼いという立場を利用して、人に音読して

もらって覚えた。そうして貯えた知識、そして「勘」で乗り切ってきたのだった。

「本気で歴史スキルの高いバディが欲しくなってきた‥‥」

 あらためてひとりで探索する辛さを味わう。

 けれど真里野との当初の約束通り、ひとりで遺跡を攻略する。

 

 

 放課後―――。

 真里野との『死合い』は夜7時。

 それまでに、遺跡の新たに探索する区画、その最深部にたったひとりで辿り着か

ねばならない彼は、普段より早めに遺跡へ向かう準備をする。

 七瀬の姿をした九龍は、男子寮をいかにも「用事があってきました」という顔を

しながら堂々と歩く。

 ふと、ある部屋の前で歩みを止める。

 コンッ、コンッ‥‥。

 ドアを軽くノックするが応答が無い。

 再度ノックし、それでも反応が無い事を確認するとドアノブに手をかけるが‥‥、

「いない‥のかな」

 ドアには鍵が掛かっていた。

 一体、部屋の主はどこへいってしまったのだろうか。

 溜め息をひとつ、再び歩きはじめる。

 皆守と合う事を諦めた九龍は、仕方なく自室へ戻る。

「ったく‥、どこにいったんだろう。いっつも、用でも無い時はいる癖に、こん

な肝心な時にいないなんて‥‥‥」

 彼らしくなく、愚痴をこぼしながらクローゼットを開ける。

 擬装した弾薬庫の鍵を次々と外し、ひとつづつ装備を手に取り確認する。

 まずは暗視ゴーグルとアサルトベストを試着。なんとか七瀬の身体でも、装備

出来る事を確認して黒いリュックにしまう。

 次に手をのばした先には、鈍色に光るパイプや何かの部品。バラバラに分解された

G3A3ライフルを、恐ろしくも鮮やかな手つきで組み立て、弾を補充する。

「なんとかこれでカタがつけばいいんだけど、そうもいかない‥か」

 七瀬の身体を気遣い、なるべくなら近接戦闘は避けたいところ。だが、いかん

せん遺跡は進めば進む程に敵も頑丈に出来ており、銃器による遠距離攻撃ですべて

を撃破するのはつらかった。

 仕方なく近接装備を取り出す。

 金属の柄の先に、凶悪なまでにトゲが生えた楕円の球体――メイスだった。

 同じ近接武器でも、攻撃力の高い戦斧の方を好んで使っていた彼だが、今は

七瀬の身体への負荷を軽減するために、少しでも軽いメイスを選んだ。

 自室へ戻る前に、彼女の身体でどこまで動けるのか運動能力をテストして

きたのだが、まったく普段通りの力を発揮する事が出来た。

 非常にありがたい事実だが、彼女の体を考えると楽観できない事態だった。

 人間の身体はというものは実によく出来ている。

 脳の制御、あるいは乳酸といった物質により、自分自身でリミッターをかけ、

無理な運動により肉体が崩壊する事を防いでいる。

 そのリミッターの上限を、日々鍛える事によって通常は上げている。だが、九龍

のような一部の到達者クラスの人間になってくると、自身をコントロールし肉体の

限界以上の力を操る。

 いわゆる、『火事場の馬鹿力』といった現象――危機的状況に陥らなければ本来

は使う事が出来ない力を、自分の意志で行う事ができる。

 もちろんそんな事を行っても無事でいられるのは、並々ならぬ訓練の賜物。

 ただでさえ、一般人である七瀬の肉体を九龍が普段通りに戦闘を行うだけでも

かなりの負荷がかかるのだ。肉体を酷使する近接戦闘などはなおの事避けたい。

 できればメイスのように重たい物は使いたくなかったが、それが通用しない事は

この前の区画で嫌という程痛感させられた。

(―――泣き言は許されない)

 ライフルやメイスは布で包み、弾薬とガスHGを持てるだけリュックに詰め込んだ。

 人目を避け、男子寮を抜け出す。

 ――墓場の手前、鬱蒼と茂る木の影で装備を身に纏い、墓の下――地下遺跡へ

降りていく。ロープを伝い、大広間に足を降ろす。

「大広間って‥‥、こんなに広かったかな」

 いつもなら明日香が騒いでいたり、鎌治が心配してくれたり、リカちゃんや

茂美ちゃんにくっ付かれたり、遺跡の石に興奮する黒塚を押さえたり‥‥

 そして―――、

 ――ラベンダーの香り――、

 ‥。

 ‥‥‥。

 ‥‥‥‥‥‥‥‥。

「甲太郎に蹴られたりねッ!!」

 何か嫌な事を思い出したらしい。

 先程までの感傷的な気分はどこへいったのやら、足下の石を勢いよく蹴りあげる。

 黒塚にはとてもじゃないが見せられない姿。

 これを世間一般では八つ当たりと言う。

「さ〜て、ちゃっちゃと攻略しよーっと」

 何かを吹っ切るかのように、意気揚々と新たな区画を目指す。

 

「5つ目の扉――」

 ゆっくりと慎重に押し開けるとすぐにハシゴがあり、その先には細い通路が続く。

 警戒しながら進んでいくと、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

 通路を抜けた先には、大きな柱が目を引く空間が広がっていた。

(水‥‥?)

「これは‥、地上の雨水が流れ込んでいるのかな」

 一見広そうに見えるこの場所は、水の上を簡素な足場が組んであるだけなので、

以外と移動出来る場所は少なかった。敵が居ないとはいえ、慎重に辺りを調べていく。

「ここの名前は――、気多岬(けたのみさき)か‥‥。

 日本神話では、丸裸の白ウサギが伏せっていた場所だな」

 ――『稲羽の素兎(イナバのシロウサギ)』の話は、日本神話の中でも割と

メジャーな部類の神話であろう。

 部屋の端、ハシゴの近くに宝箱を発見する。

 鍵の掛かっていないそれを開けると、中には亜麻布が入っていた。

 こうして遺跡の内部で発見するものには、仕掛けを解除するための必要なもの

もある。リュックは既に一杯だったので、腰に巻き付け携帯することにした。

 そして近くのハシゴを昇るとそこには‥‥、

「うッ‥‥‥!?」

 思わず苦手意識から呻いてしまう。

 目の前には、ひとつ前の区画、化人創成の間へと続く扉。

 この先には‥‥‥。

 

 『須佐之男(スサノオ)』―――。

 見た目のグロテスクさもさる事ながら、その異常なまでのタフさに苦労した

のだった。体力の数値だけをみれば、前の『天照(アマテラス)』の方が優れ

ていたが、射撃属性に弱い『天照』の方が倒しやすかった。

 今まで彼は『必要最低限の力で敵を倒す』という戦闘スタイルをモットーに

してきたのだった。筋力が無くても、的確に急所を突く事で相手を倒す。

 だが、この遺跡の化け物共ときたら弱点を突いてもなかなか倒れず、その異常

なまでの体力に苦戦していた。

 前回の『須佐之男』戦ではそれを反省し、自身のレベルアップを兼ねて何度か

挑んだのだが‥‥。やはり苦手だった。

 今はひとりという事もあり、その扉からはすみやかに撤退する。

 

 気多岬の間から次へ進むと、H.A.N.Tから警戒音が発せられる。

 ライフルを構えたその先には‥‥、

 両生類特有のヌメッとした肌に醜くせり出した腹。

 丁度、カエルと人系の鬼をブレンドしたらあんな感じになる、といえば蛙に

失礼だろうか。

 水蛭子(ヒルコ)と呼ばれる獣人が水から這い上がる。

 緑の肌と同色の目が、いまいちどこを見ているのか分からず無気味さを増していた。

 水蛭子が九龍を見つける前に、彼は白く異様に膨れ上がった腹に向かってトリガー

を引く。実物の蛙さながらに腹は薄く、ライフル弾が当たると破裂した箇所から

紫色をした内臓が飛び散った。

「う‥‥わッ!?」

 躊躇せず2発目を打ち込むと、空気に溶けるように消滅する。

 戦闘としては楽な部類だが、消滅直前の映像が生々しい。

 九龍は機械的な、自動的な動作で次々と水蛭子の腹を打ち抜いていく。

 

『――敵影消滅しました』

 H.A.N.Tが敵の殲滅を告げた時には、彼は思わず膝をついて自身の吐き気と

戦っていた。

「ハァッ‥‥ハァッ‥‥‥ッ」

 生々しいものに対する耐性は出来ているはずなのだが、先日うっかり目にして

しまった生物室の蛙‥、それも内臓をさらしたホルマリン漬けを思い出してしま

っていた。

 彼は昔から、『生物実験』というものが苦手だった。

 生理的に受けつけない。

 最初は、慣れていない所為なのかとも思った。

 彼が遊び場にしていた、母方が経営する――、オーバーテクノロジーすら扱う

研究室でも『生物』を扱う研究というものは全く取り扱っていなかった。

 そのため見慣れていない所為だと思ったが、それは違っていた。

 内臓や、一般的にはグロテスクと分類されるものには耐性があった。

 ただそこに、『実験』という二文字が見えた途端に駄目なのだ。

「‥‥ッハァ‥。こんな姿を‥、甲太郎に見られたら‥また、馬鹿にされそうだ」

 自嘲気味に呟くと、自己の葛藤に打ち勝つ。

 自分の事よりも、ふと爬虫類が苦手だといっていた雛川先生が心配になる。

 蛙は両生類だが、ヌルヌルテカテカしている点では一緒だった。

 捕われている彼女は、これらの存在を知れば卒倒してしまうのでは無いだろうか。

 真里野から届いたメールをあらためて見なおす。

 ――九龍が約束を放棄せぬように、雛川先生を人質にしたという内容。

 昼間、真里野と会った時の印象からすれば非常に不自然極まりないないようだった。

 正々堂々と名乗りをあげてきた真里野。彼がそんな手を使うとは思えなかったが、

全くデタラメという確証もない。

 とにかく進むしか無いのだ。

 立ち上がり、膝の汚れを払った彼が顔を上げた時には、既にいつもの笑顔が浮か

んでいた。

「さて‥‥、兎と鮫の石像か。

 さしずめここは隠岐島の間(オキノシマのマ)といったところかな」

 彼の予想は合っていた。

 先程よりも水の割合いが多いこのエリアは、稲羽の白兎が棲んでいた島――

隠岐島をモチーフにした場所だった。

「サメさん、サメさん。あなたの数を数えましょう」

 まるで歌うように口ずさむと、軽い足取りでウサギの像に向かっていく。

 ――『稲羽の素兎』とは、隠岐島から気多岬へと渡りたい白兎が、

「あなたと私の一族、どちらが多いか勝負しましょう」と騙し、一列に並んだ鮫を

橋代わりに、数えるフリをして渡ろうとするお話。

 九龍がウサギの石像を動かすと、それに連動して水中のサメの石像が動く。

 神話さながら、一直線にサメを並べ足場を作る。

「兎のように、ならなければいいんだけど‥ね」

 上手くいくと思った兎の作戦は、最期の最期にバレてしまい、怒った鮫に白兎は

丸裸‥、赤剥けにされてしまうのだった。

 周囲を警戒しながらも、兎のように軽やかな身のこなしでサメの頭を渡っていく。

 無事に渡り斬った九龍だったが、嫌な予感が胸を離れない。

「難しいな‥‥」

 恐らく次の区画を進むための、ヒントが書かれているであろう石碑。

 そのほとんどは解読する事が出来なかったのだが、妙に八十神(ヤソガミ)と

いう単語が心に引っ掛かった。

 ――「海水を浴び、この場所で伏せっていろ」

 気多岬で、丸裸にされ嘆き悲しむ白兎に向かって、八十神はこう命令した。

 赤剥けた肌に海水を染み込ませ、更に海風になど当たれば結果は、前にも増し

て兎を悲惨な状況に追いやる。

 兎を更に苦しめた八十神――、それは九龍にどう災いを与えるのだろうか。

 意を決して扉を開けると‥‥‥、

「いきなり‥か」

 暗視ゴーグルを装備し、電源を入れる。

 真っ暗で肉眼では何も見えなかった場所が、うっすらと緑の世界で浮かび上がる。

 幸いな事に敵はいないようだが、それは少しも安心する要因にはならなかった。

(足場が少ない!) 

 この場所では迂闊に動きたくは無かった。しかし、暗視ゴーグルのバッテリーは

そう長くは保たない。

 少ない足場を、慎重かつ迅速に移動し罠を解除する手立てを捜す。

 右手の壁側から捜していた九龍だったが、突然斜めに跳躍した。

 それはハンターとしての直感だったのだろうか、本能的なまでの動きだった。

「!!」

 跳躍した彼の背中を、それぞれ音質の違う何かがかすめていった。

 固く大きなものが壁にめり込む鈍い音に、鋭いものが壁に当たり弾かれる音。

 正体を探るべく壁を見るとそこにはそれぞれポッカリと、穴が穿たれていた。

「初歩的な罠だな‥‥けど、音は2種類だけじゃなかった‥」

 その場にしゃがみ耳を済ませる。

 シャッ!!

 空気を切り裂く音の正体。

 斜め前の壁から長く鋭い‥あれは槍だろうか。

「ホンット、シャレにならないねッ!!」

 当たれば大怪我どころでは済まないかもしれない。

 槍の生える壁の更に向こう、突き当たりの部分に何かのレリーフが見えた。

 槍のタイミングを計り、その場所に近づくとそれは『弓矢』をかたどった

石盤だった。

(‥‥八十神‥‥、弓‥‥‥もしかするとこれは‥‥)

 ある考えに突き動かされ、別の石盤を探す。

 八十神といえば、先程の稲羽の白兎を更に苦しめた神々だが、苦しめられた

のは白兎だけではない。

 兎を苛めると、稲羽の八上比売(ヤガミヒメ)への求婚を迫る。だが、従者と

して連れていった弟神、赤剥けの兎を助けた心優しき大穴牟遅神(オホナムヂ神)が、

八上比売の心を射止めてしまう。

 求婚に失敗した八十神達は、弟神に嫉妬し殺そうと企む。

 ――『この山の、赤い猪を我々がこの場所へ追い込む。

お前はそれを必ず捕まえよ。出来なければ‥‥‥』――

 八十神達は、真っ赤に焼けた猪に似た岩を落とす。

 捕まえなければ殺すという命令に背く事が出来ず、受け止めるが焼け死んでしまう。

(八十神の悪意をモチーフにしているなら‥‥)

 弓矢の石盤から離れると周囲を見渡した。

 すると対岸にも何かの石盤が見えた。対岸の壁にも罠の穴があったが、バッテリー

の残料は容赦なく減ってゆく。

 覚悟を決め、姿勢を低く対岸へと跳ぶ。

「ッ!!」

 左腕を槍がかすめ、生温かい液体が腕を伝う。

「ゴメン‥‥七瀬」

 思わず謝罪の言葉が出てしまう。

 急いで壁を調べると想像していた通り、それも炎を纏う岩のレリーフが施された

石盤があった。

(次は‥‥)

 スイッチを作動させると次の石盤を探す。

 ――『お願いします。あの子を助けて下さい!!』

 母神が神産巣日(カミムスビ)に助けを求め、焼け死んだ大穴牟遅神は甦る。

 弟神が生き返った事を知った八十神達は、切り倒した大木の隙間に大穴牟遅神を

挟み、またも殺害する。

 なんとか、大木の石盤がはめ込まれた場所のスイッチを作動させた九龍だったが、

かなり息が上がっていた。

 肉体も辛かったが、それ以上に深刻なのは暗視ゴーグルのバッテリーだった。

(くッ、なんとか保つか‥‥)

 ――『このままでは貴方はまた殺されてしまうッ!!』

 再び甦らせてもらった大穴牟遅神を母神は木国に逃がす。

「ッはァ‥‥はァッ、それを追いかける八十神達の武器が‥‥弓ッ!」

 最初に見つけたレリーフの場所へ、自分を叱咤し無理矢理身体を動かす。

 ようやく最初の扉のある場所まで戻っていた。

 バッテリーのエネルギー残料が少ない事を、機械音が事務的に告げる。

 急ぎ、この場所――回りの壁に、罠による損傷が無い事を確認する。

 なんとか安全を確認したところでバッテリーが無くなる。

(‥‥‥落ち着いて思い出せ‥‥)

 この部屋に入ってから何歩で、どういった順序であの場所に辿り着いたのか。

 恐るべきシミュレーションを一瞬の内に、驚くべき速度で立案すると迷う事な

く彼は進みはじめた。

 壁伝いに3歩、右へ2歩‥‥。

 壁に弾かれる鋭い音を確認し、細い直線通路を一気に走る。

 一歩間違えば冷たい水の中だが、この場所には安全地帯というものが存在しない。

 そのため、一番ダメージを受けるであろう罠――、横からの重量級のダメージ

を避ける事に集中し、正面から来るダメージに対しては、顔と心臓という必要最低限

の急所だけをガードし走る。

 万が一の場合は受けるつもりであったが、九龍の足の方が罠の発動よりほんの

少しだけ早かった。

 ダンッ!!

 彼の身体が勢い良く壁に激突する。

 最期の難関、槍の罠をかいくぐり弓矢のスイッチを起動。

 H.A.N.Tが安全領域になった事を知らせる。

 

「はァ‥‥‥‥‥‥」

 

 ボロボロになってしまった七瀬の体を気遣い、魂の井戸まで一旦戻る。

 

 

 

 




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