+++6th. Discovery「時をかける少女」

其ノ五【幼き日に忘れた】

 

 

 

 ガララッ、と静かに閉めようにも決して静かに閉まる事のない学校の扉。

 保健室の扉を、それでも静かに閉めようとするあたりに本人の性格が伺えた。

(―――さて、早く七瀬を見つけなければ‥)

 可哀想に今頃九龍と入れ替わってしまった七瀬は、ひとり困っているに違い無かった。

 普通とは少し違う世界に身を置く九龍でさえ、あれ程あわててしまったのだ。

 一般人である七瀬に降りかかった災厄を考えると、急がずにはいられない。

「ごめんね、七瀬‥‥」

 そう呟くと、九龍は不安を抱えた七瀬が身を寄せる場所へと向かう。

 普段の彼女を知っていれば簡単に分かる場所へ―――、まるで猫のように軽く、し

なやかな足取りで走ってゆく。

 

 

 

 九龍は、階段を音もたてずに昇りきると、今度はワザと不自然ではない程度に足音

をさせながら図書室へと入る。中にいるはずの七瀬を驚かせないよう、事前に心構え

ができるように存在を知らせる。

 辺りを見回すと、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「九龍さん―――」

 聞き覚えのある声。

 もともと自分の声とは、普段聞こえているものとは若干違う。

 けれどそれは、まぎれもなく自分の、九龍 尚樹の声だった。

「九龍さん、こっちです。私です、七瀬です」

 自分の声で「七瀬です」といわれると、とても不思議な感じだなと暢気に考えてし

まう。どうやら九龍の方は大分調子が戻ってきたようだ。

「今、司書室の中にいます。

 廊下で、九龍さんとぶつかって、

目が覚めたら、こんな風に身体が入れ替わっていて‥‥。

 驚いて、そのままこの部屋に入って鍵を掛けたんです。

 はァ‥‥、

何でこんな事になってしまったんでしょう?

もうずっと、このまま元にもどらなかったりしたら‥‥‥」

 語尾は掠れ、今にも泣きだしそうに悲痛な声だった。

「七瀬‥‥」

 想像以上に七瀬は弱っていた。

 いくら動揺していたとはいえ、彼女の心配をしてあげられなかった自分の至らなさ

を九龍は恥じた。

「七瀬‥‥、聞いて」

 扉越しに優しい言葉をかける。

「何故こんなふうになってしまったのか、それはまだ分からない。

けど、こうなってしまったからには、きっと元に戻る事だってできるはずだ」

 一言一言、ゆっくりと丁寧に紡ぎだす。

「九‥龍さん‥‥」

 カチャ、と開錠する音がした。

 扉がほんの数センチ開き、九龍 尚樹の姿をした七瀬が、恐る恐る顔を覗かせる。

 それを見た九龍は、にっこりと微笑み扉に手を掛けた。

 扉を開け、中で座り込んでいた七瀬に目線を合わせる為に片膝をつく。

「ねえ、七瀬。私の知っている七瀬 月魅ならきっと、こんなところでいつまでも落

ち込んでなんていない。『本』という素晴らしいものを調べて、元に戻る方法を探し

ているよ。きっと」

 優雅に、まるで太陽のように明るく、力強い微笑みに魅せられて、七瀬は自分の姿

をした九龍への不思議さを忘れてしまった。

「ね、一緒に元に戻る方法を探そう」

 ほんの数瞬だが見愡れていた七瀬は、その言葉にはっと我にかえる。

「九龍さん‥‥。ありがとうございます。励ましてくれて‥‥」

(不安なのは私だけじゃない。九龍さんだって辛いはずなのに‥)

「すいません、私ったら、すぐに悪い方向に考えてしまって。まったく―――

しっかりしなさいッ、月魅ッ!!」

 どうやら七瀬も気持ちが浮上したようだ。

「そうよ―――。このまま、じっとしてても解決方法は見つからないわ。

何とか元に戻る方法を探し出さないと‥‥。

私はここにある本を調べてみます。

何かあったら連絡しますからそれまでは、九龍さんも私として行動して下さい。

お互い元に戻れる時まで頑張りましょうッ!!」

「ふふッ、元気になってくれて良かった」

 カラ元気かもしれないが、いつまでもくよくよしていたって事態が好転するとは限らない。

奇跡は起こるものではない、自分から起こすものだと九龍は信じている。

「はいッ。それじゃ、私の身体をよろしくお願いします」

「ああ‥‥と、肯定したいところなんだけど‥‥」

 今夜、真里野との死合いの事を考えると、七瀬に非常に申し訳ないと思った。

「どッ‥‥、どうしたんですか?」

 急に顔が曇った九龍を心配する七瀬。

 しばし考え込んだ九龍は、ようやく意を決して口を開く。

「実は‥‥‥」

 さすがに真里野との死合いの事は言えなかったが、自分が《宝探し屋》であるとい

う事情を説明した。

 

「‥‥‥すまない。それに今夜は‥‥、理由あってひとりで遺跡へ行かなければならない」

 言葉をかろうじて絞り出す九龍は、とても辛そうだった。

「もし、‥‥もしも今夜は元に戻れなかった時は、このまま行かせてもらいたい。

その時はもちろん、かならず無事に帰ってくると約束する」

(こんな約束‥軽々しくできるものじゃないけど‥‥)

 ふと、違和感を感じる。

「な‥七瀬‥‥」

 きっと悲しむだろうと思って話していたのだが、どうも七瀬の様子がおかしい。

 それはまるで初恋の相手でも見つけたかのような熱い眼差しだった。

「す‥‥‥すごいッ」

(夢にまでみていた超古代遺跡‥‥、それを探索する人だったなんて‥‥)

 七瀬にしてみたら白馬の王子様に出逢った感じなのかもしれない。

(こんな素敵な事があっていいのかしら‥‥)

 しかも、今自分が通っている天香學園に本当に、本当に遺跡が存在していたのだ。

 七瀬は興奮せずにはいられなかった。

 身体が入れ替わってしまった事も衝撃だったが、誰でもない九龍が相手だったこと

もあり、彼女にとっては九龍の告白の方が衝撃的だった。

「すごいわッ‥‥。

もしかしたら、地下遺跡にも、何か手がかりがあるかもしれませんね‥‥」

「あ‥あのー、七瀬ちゃん?」

 ぶつぶつと超古代文明についてつぶやいていると思ったら突然、ガシッと手を握ると、

「私の身体、貴方にお預けしますッ!!」

 

 聞く人が聞いたらとんでもない台詞である。

 

 

「はぁ‥‥、驚いた‥‥」

 廊下をすっかり緊張感が抜けた足取りで、ぽてぽてと歩く九龍。

 七瀬に自分の素性を話したのだが、まさかあれ程までに興奮するとは夢にも思って

いなかったのだった。予想とはあまりにも違う反応で、本当に驚いていた。

「さて‥」

 6時限目の授業を受ける為(もちろん七瀬として)、3−Aに向かう。

 歩きながら落ち着きを取り戻した九龍だったが、ふと、皆守への怒りを再燃させる。

(ッたく‥‥、瑞麗先生みたいに『氣』を読めとはいわない‥‥けどッ。普段、無駄

に洞察力が高いんだから、話し方とかで気付いてくれたっていいじゃないか。それに、

この學園では不思議な事がたっくさん起こってるんだから、身体が入れ替わる事があ

るって信じようとしろよッ!!)

 今は授業の合間の休み時間。

 先程、皆守は早退するといっていたが、まだ残っていないだろうかとかすかに期待

して、3−Cに寄ってみる事にした。

「あーもうッ、一発ぐらい殴ってやる‥‥」

 彼にしては珍しく物騒な事を口にした。

 七瀬の姿で本当に殴る気なのかという疑問は、今の彼には無意味な事だった。

 

 

「やっぱり、いない‥かな」

 教室内を見回していると、

「あれ?月魅?」

 元気の良いおダンゴ少女が駆け寄ってくる。

「ん?どうしたの?誰かに用?」

(マズ‥。どうやって言い訳しよう‥‥)

 内心の動揺が外に出ないように、言葉を発しようとした瞬間、

「あァァァッ!!」

 突然の大声に内心飛び上がる程に驚くが、九龍の外面は目を軽く見開く程度に抑え

られている。

「あ‥あの‥」

「そのポケットから見えているのって、もしかして前に頼んだアレ?

探してきてくれたの?ありがとッ、月魅ッ!!」

 おおはしゃぎする八千穂に、スカートのポケットから『救急キット』を取り出す。

 この天香學園内で自分の身を守る為に、さすがに武器を携帯する事まではしたくは

ないが万が一の事を考えて、九龍はこの救急キットは常に携帯していたのだった。

「ありがと〜。

やっぱり月魅に頼んで正解だったよ。

テニスの練習って、傷が絶えなくてさ〜。

いつも使ってるネットショップが、どこも売り切れだったからどうしよう

かと思ってたんだ。ありがとねッ」

「喜んで貰えて良かった」

 人違い(?)とはいえ、人の喜ぶ顔が見られて九龍は嬉しくなるが、

「お礼に、これあげるよ」

 ごそごそと八千穂が取り出したもの、それは―――。

(こッ‥‥『古代の黄金弾丸』、『遮光器土偶』、『ゼラチン』ッ!!!)

 今日は何と驚く日なのだろう。

「こッ‥‥これは?」

「へへ。ちょっと入手ルートは口止めされてていえないんだけど月魅なら、欲しがる

かなと思って、拾って、こっそり隠しておいたんだ。どう?気に入ってくれた?」

(拾って‥‥って、どれもこれも貴重品なんだけど。拾ったっていうより、ガメてた?)

 だが、そんな感情を表に出す九龍ではなかったので、

「すっごく嬉しいですッ!!ありがとうッ」

 すっかり七瀬になりきって喜ぶアクションをとった。

「へへへッ、喜んでくれて良かった。月魅には、いつもお世話になってるしね」

 

 恐るべし、八千穂‥‥‥。

 

 

 

 6時限目のA組の授業は英語。

 先生が、日本人としては模範的な発音で教科書を読み上げている。

(なかなか侮れないな‥‥明日香‥)

 七瀬 月魅として、A組で授業を受ける九龍 尚樹。

 最初の5分間は、八千穂の事で頭がいっぱいだったがなんとか気持ちを切り替え、

今後の対応策を考える。

 

 

  

 無事に授業を済ませ、校舎を出たところで七瀬の事が心配になった。

「もう少しで校舎が閉まってしまう‥‥」

 このまま校舎に残っていれば《生徒会執行員》に狙われかねない。

 現に昨日も男子生徒が一人、放課後に校舎に入った罪で粛正されている。

 九龍が図書室へ向かおうとした時に、七瀬からメールが届いた。

 一通り読み終え、安堵したが―――。

 ふぅ、と溜め息をひとつ。

 どうやら寮の自室に、頭からタオルを被り、顔を隠して戻るということなのだが、

できる事なら他の女性に気付かれないでもらいたいと願った。

 なにせこの場所に来てからというもの、噂話のネタにされる事が多く、かなり辟易

していた。まさかこんなにも噂とは恐ろしいものなのかと、身を持って学習してしまった。

 噂も、大抵の事は笑ってかわせるのだが、この天香學園の閉鎖された空間、娯楽に

乏しいという状況が噂話を過激にし、時には恥ずかしくなるような噂まであった。

 自身が耳にする事ができるものでさえそうなのだから、自分の知らない所では

いったいどういう噂をされているのか‥‥‥。

 そんな、九龍をも恐れさせる噂だが、九龍本人が「いろいろ」と無自覚なところが

大きな要因である。十分に人の目を惹きつける容姿、加えてあの皆守 甲太郎と仲良

くしている事など、行動も目立ってしまっているので仕方がないともいえた。

 

「こんばんわ、九龍さん」

 中庭まで歩いてきたところで突然、声をかけられる。

 一瞬、そのまま振り返りそうになるが、今は七瀬の姿。考え事をしていて気付かな

かったが、実は後ろから七瀬が来ていたのだろうか。耳を済ませ、周囲の音に気を配

るが他に人の気配は感じられない。

 ゆっくりと振り返るが、そこには地に届くほど長く真直ぐ伸びた黒髪に、鎖の戒め

を纏う女子生徒、白岐が佇んでいるだけだった。その落ち着いた雰囲気が、薄幸の美

女という印象を与える。

「どうしたの?私に、何か用‥‥‥?」

 彼女は、じっと自分を見つめる九龍を不思議に思っていた。

「‥‥どうして、私が九龍 尚樹だと?」

 七瀬の為にも、入れ替わっているという事実は秘密にしていたいが、白岐が何故

分かったのか知りたくなった。もしこれが、万が一、何かの間違いであった場合には、

冗談で済ませるつもりだったのだが‥‥、

「え‥‥?一体どうしたの‥‥?」

 彼女は演技とは思えない、心底不思議そうな表情を作った。

「あなたの名前は、九龍 尚樹。それ以外の何者でもないでしょう?」

 普段の九龍ではありえない、下手をしたら相手に失礼になってしまう程、白岐を見

つめ真意を探る。

(嘘は言っていない‥‥そう見えるな。彼女にもどうやら不思議な力があるようだ)

 普段から白岐に執着する夕薙がこの事実を知ったら、一体どんな反応をするのだろう。

だが、今はそんな事を悠長に考えている場合ではなかった。

「‥‥‥、実は―――」

 白岐には、事情を説明した方がよいと九龍は判断した。

 

 九龍の説明を、白岐は決して揶揄することなく、実際には信じられないような話し

すべてを受け入れているように見えた。

「そう‥‥そんな事が。他のみんなには。あなたの姿が七瀬さんに見えるのね‥‥」

「ああ、私自身にもそう見える」

 非常に興味深い発言だった。白岐は、例えば瑞麗先生のように「氣」で物事を見る

事ができるのだろうか。それとも何か、本質的なものを見定める能力があるのだろうか。

 

「ところで、九龍さん」

 突然、白岐に質問されることとなる。

「もし、ずっとこのままだったらあなたはどうするの?突然《他人》になってしまった

《非運》を嘆いて生きるのかしら‥‥?」

「それはどういう‥‥」

 なるべく、相手の好む答えを出せるように、昔から話術の訓練させらてきた九龍で

あったが、こと白岐に関しては調子が狂ってばかりいる。なかなか真意をつかめない

のだった。

「そう‥。

もしも万が一、このままだったとしても、ずっと嘆いてはいないと思う。

だって、嘆いていたって何もならないし、せっかくの人生、それじゃあ面白くない。

きっとその時はその時で、楽しく生きようとしているよ。

外見は替わってしまっても、九龍 尚樹という本質はそのままだから」

「たとえ《他人》になってしまったとしても。自分を愛せる、と‥‥?」

「けれど、それはあくまで無事であった場合だけれどね。

 七瀬 月魅の肉体――《器》に、一体いつまで九龍 尚樹の人格――《精神》が

保てるのか。肉体が壊れるのが先か、精神が壊れるのが先か‥‥、もちろん最期まで足

掻いてみせるけど‥ね」

 不吉な内容にもかかわらず、九龍は微笑んでみせた。

「‥‥‥‥‥。九龍さん、あなたは強い人ね。

私にも、あなたのような強さがあったなら‥‥」

 白岐は、どこか苦しそうに俯くと、そのまま去っていった。

 どこか思いつめたような彼女の様子が気になったが、ただ、彼女の背中を見送るこ

としか出来なかった。

「今は、考えていても仕方がない‥‥か」

 

 

 白岐と分かれた九龍は、マミーズへと向かう。

 ひとりだけの食事は久しぶりのような気がした。

 一瞬、寂しいような気がしたが、自分自身がそうと感じる前に考えを中断した。

「あ、月魅〜!!」

 店内に入ると、元気良く八千穂が手を振っている。

 4人掛けのテーブルに、八千穂、椎名、肥後が座っていた。

「これからご飯?」

「あ‥、ええ。これから食べるところです」

「マミーズにきてるんだもん、ご飯に決まってるよね。

あたしは、ちょうど食べ終わったところなんだよ」

「そうでしたか」

 キレイに平らげられた料理の皿に目を移す。

九龍は少々、残念な気がした。だが、残念に思ったのは九龍だけではなかった。

「あ〜、月魅が来るってわかってたら、もうちょっとペース落として食べるんだったな〜」

 いや、早食いだから無理でしょう、というツッコミをかろうじて飲み込んだ。

「ちょうど聞きたいことがあったし‥‥ね。エヘヘッ」

 どこか含んだ言い方が非常に気になったが、

「あ、じゃ〜アタシそろそろ時間だから行くね」

「はい、またねです」

「また一緒に食べましょうでしゅ」

 八千穂は勢い良く去っていってしまった。

 さて、どうしたものかと考えていると‥、

「せっかくでしゅから、七瀬たんも一緒に食べましょうでしゅ〜」

「そうですわ。リカたちはまだ、食べはじめたところですから」

「では、ご一緒させていただきますね」

 八千穂のいなくなった場所に座ると、肥後の視線を感じて動揺する九龍。

(まさか、肥後にも私が九龍だと感じたのだろうか‥‥)

 目の前にいる二人は、かつては《生徒会執行委員》として遺跡で戦った仲だ。

特殊な能力を備える二人であれば、もしかしたら‥と思ったが。杞憂に終わる。

「前から気になってたんでしゅけど、七瀬たんってかなり小食でしゅよね〜。

もしかして、ダイエットでもしてるんでしゅか?

今日のゴハンは一段を美味しいでしゅから、たまには大目に食べたほうがいいでしゅよ〜」

 ぷるんぷるんと、肉付きの良いほっぺたを揺らしながら力説する肥後。

「ええ、そうですね。今夜は頑張って食べたいと思います」

(なにせこれから、ひとりで遺跡にいかないといけないからね。食べないと保ちそう

にないや)

 と、後半は心の中でだけ呟きつつ、前半はにっこり微笑みながらこたえた。

「おおッ!!今日の七瀬たんは食(や)るきまんまんでしゅね?そうでしゅ!!

ゴハンはいいものでしゅ。一日の活力になるのでしゅ。しっかりと食べておかないと、

頭に入るものも入らなくなりましゅからね」

 彼の食事風景を見ていると、なんでも美味しそうに見えてくる。グルメリポーター

の資質は十分にあった。彼といると、つい、つられて大目に注文してしまいそうだ。

「ねぇ、つかぬことをお伺いしますけどォ、あなたって、手先を使う作業はお好きですかァ?」

 椎名にじっと、無垢な瞳で見つめられる。

「あ、ええ。好きですよ」

 答えてしまって後悔する。

 今は七瀬なのだ。こう答えてしまって果たして良かったのだろうか。

「わーいッ、やっぱりそうでしたのね!!」

 無邪気に喜ばれてしまう。

「きっと、そういうのお好きだと思ったんですゥ。

実はリカ、自分技術を受け継いでくれる方を捜してましたの。

あなたに、リカの技術の全てをお教えしますわ」

 一瞬、爆弾の技術の事かと心配になってしまったが、そんなことはありえない。

「究極の―――レース編みを!!」

「レ‥‥レース‥‥」

 失敗したかなと、九龍が思ったのもほんの少しの時間だった。

 七瀬にレース編み‥‥‥‥。

 九龍の想像力が働き、結果『似合いそう』だからOKという結論に達したところで、

マミーズのウェイトレス――舞草が、注文を伺いに来た。

 

「こんばんわ〜ッ」

 明るい挨拶には好感が持てたのだが、今日はどこかそわそわと落ち着きがないように見えた。

「あッ、あのォ〜、ちょっと伺いたいんですけどォ〜」

「え‥‥、えっと‥‥なんでしょう?」

「その‥‥九龍 尚樹くんと付き合ってるって、ホントなんですか〜?」

 ブハッ!!

「キャッ、だ‥大丈夫ですのォ?」

「だいじょうぶでしゅか?器官に入ったでしゅかッ?」

 先程、舞草からもらったばかりの水を軽く吹き出してしまう。

「ゴホッ‥、ちッ‥‥違ッ‥ゴホッ。‥‥すみませんッ‥大丈夫です‥‥‥」

 涙目で答える。非常に大丈夫なのではなかった。いろいろな意味で‥‥。

 だが、なるほどな、と彼はひとり納得した。

「えッ、違うんですか〜?奥の席にいる子たちがそんな話してたから、あたし、てっきり‥‥」

(明日香が聞きたがっていた事はこれか‥‥‥。まさか七瀬と噂されてたのか‥‥)

「あ、す、すいませんッまたし、こういうお話大好きで、つい‥‥‥」

 舞草は、やさしく九龍の背中をさする。

「良かった〜。実はあたし、彼のことちょっと気になってて〜。

あッ、やだァ〜これナイショですからねッ」

(え‥‥‥)

「あらァ、リカだって尚樹クンのことは大好きですのォ」

(えッ‥えッ‥‥)

「ふむふむ、九龍くんはモテモテでしゅからね〜」

(えッ‥えッ‥えッ‥‥!?)

 予想外の発言に九龍は、感情のコントロールが出来ずに顔が熱くなる。

 ちょうどムセていたことが幸いして、照れているという事がバレずにすんだ。

 きゃあきゃあと、会話の弾む彼女等を見ながら、九龍は、自分がそう想われている

ことに驚いた。人から、良く思われたい、好感を持たれたいと思っていたが、まさか

好意を寄せられているとは思ってもみなかった。

 それだけ、他人が自分に寄せる想いについて無頓着だったことに気付く。

 なんだかそれはとても恥ずかしくて、この場所からとにかく逃げ出したい気分になる。

 そんな状態なので、とにかく‥‥今晩は、カレー以外の食料を胃に詰め込んだ。

 時折、聞こえてしまう『九龍』という単語にビクつきながら、無理矢理食事を終わ

らせると、不自然ではない程度に、外面は落ち着かせてその場を後にした。

 

「ッはァ‥はァッ‥‥‥」

 マミーズを出た瞬間に、その場をダッシュで離れた九龍は、らしくないもなくとり乱していた。

「なんッ…で、こんな‥‥ッ」

 今まで自覚をした事が無かった、相手から寄せられる好意。

 恋いらしい恋も、今までまったくしたことがなかった九龍には、刺激が大きかったに違い無い。

 今まで、特殊な環境で育った事もあるが、それ以上に九龍自身が、そういった感情を封印して

きたせいもあるだろう。

 もう本人すら忘れてしまう程、ずっとずっと前。

彼の両親はそんなふうには決して思ってはいないのだが、幼い頃に、恋とか‥愛とか‥

いってはいられない立場という事を回りから敏感に感じ取った九龍は、いつの間にか、

そういう感情に鍵を掛けてしまっていた。

 

「おや‥‥‥?」

 聞き覚えのある男子生徒の声。

 気がつけば、校庭まで来てしまっていた。

「珍しい。

君がこんな時間に外を彷徨(うろつ)いているなんて。

いったいどうしたんだい‥‥?」

 九龍は、ゆっくりと声の方へ顔を向けた。

 そこには、後生大事にガラスケースに安置された水晶を抱える美少年――黒塚がいた。

「あ‥、その。貴方に逢いに‥‥‥‥」

 とっさについた嘘だったが、それは本心でもあった。

 きっと、ゴシップには興味をもっていなさそうな彼と会話をすれば、多少は心が落

ち着くのでは無いかと淡い期待もあった。

「へぇ〜、君ってそういう冗談もいえる人だったんだね。ちょっと意外だな」

(しまった‥ッ、七瀬らしくなかったか‥‥。ダメだな、さっきから)

 そう、九龍は後悔するが、そんなことは失敗ですらなかった。

「‥‥そうそう、ところで君、C組に転校してきた転校生―――。

九龍 尚樹君と、よく一緒にいるよね」

(まさか黒塚にまでッ!?)

 心配する九龍だが、

「彼、けっこういい奴だよね」

 睫毛の長い、形の良い目を細めて笑った。

「突然、石の話をふっても、ちゃんと聞いてくれるし」

(えっと‥、それは黒塚の話が面白いから‥‥)

「あ〜あ、どうせなら《石研》に来てほしかったかな。

そしたら、もっといろいろな石の話をして盛り上がれたと思うのに」

 残念がる黒塚に、九龍はこうこたえる。

「大丈夫ですよ。

部活は一緒じゃないけど、きっと話す機会はありますよ。

だって、貴方の大好きな石の話をちゃんと聞いているんでしょう?だったら、

興味があるに違いありませんから」

(へぇ‥‥、彼女、こういう表情もできたんだ‥‥)

 それは黒塚も驚く程、綺麗な笑顔だった。

「そうだね、僕からもっと誘ってみようかな。ふふ‥、それじゃバイバイ」

 去っていく黒塚を見ながら、今度は同じ自分――九龍 尚樹の話だったというのに、

マミーズでの動揺は無かった。一体、その違いは何なのか‥‥。

 それは恋愛初心者の九龍には、少々難しい話だったかもしれない。

「どうしてだろう‥‥?」

 気になった九龍は、誰か他の人間に対する反応が気になり、知っている生徒を捜しはじめた。

 当て所も無く彷徨っていると、プールの方まで来てしまっていた。

 

 こんな所まで来てしまったのかと苦笑する九龍だが、とりあえず中に入る事にした。

「あ〜ん、もうどうしてこの學園にはミスコンがないのかしら」

 プールサイドでは、黒と黄色の横縞の水着に、いつもの紫のスカーフ、そして口に

はバラをくわえて、なんとも悩まし気(?)にポーズを決めながらボヤいている朱堂がいた。

「あったら、このアタシが確実に《ミス天香》の座に輝くのに‥‥。

ねぇ、七瀬 月魅ッ。アナタだってそう思うでしょ?」

「は‥‥はいッ」

 いきなり話をふられた九龍は、思わず声が裏返ってしまった。

(え‥‥えーと、ミスコン‥‥かぁ。うーん、男子生徒は女装して‥っていうのは面

白いかも。そうそう、甲太郎あたり無理矢理やらせたらすっごく面白そうだ。それで、

票を入れるのは朱堂。だって、明るいオカマは好きだもの)

 などと暢気にというか、とある人物にとっては不吉極まりない考えであったが、彼、

九龍自身は自分が被害者側になるなどということは露程も考えてはいなかったりする。

「ええ、絶対に開催して欲しいですッ。私だったら絶対に朱堂さんに票を投じますッ!」

「んまァ〜ッ、アナタって結構《美》見る目があるのねェ〜。

そうよ!!全校生徒が、アタシの足下にひれ伏すの!!オーホホホホホホッ!!

楽しみにしてらっしゃい!!」

 朱堂にひれ伏す全校生徒‥‥見てみたい気がする。

 気合いの入る朱堂の姿に満足すると、プールサイドを後にした。

 残念ながら朱堂では、九龍の好奇心を満たす事が出来なかったが、そろそろ真里野

との決戦に備える事にする。

「さて、リラックスしたい時には‥‥‥」

 大分寒くなってきた風をその身に受け、興奮を冷ましながらバー九龍(カオルーン)へと向かう。

 

 

 

「いらっしゃいませ。御注文は如何致しましょう?」

 片眼鏡の似合う、白髪の老紳士。

 この燻し銀のように、味わい深く、落ち着いた輝きを放つ千貫を目の前にすると、

とても気分が安らいだ。

 バーの雰囲気にあてられて‥、いや、彼本来の仕種が出てしまう。

 上品にカウンター席へ腰掛けると、

「では、牛乳をお願いしますね」

 いつもの、お決まりのオーダーであった。

「これは、お目が高い」

 老紳士は目を嬉しそうに細める。

「牛乳は《長寿の秘薬》ともいわれる飲物なのです。

腸内を乳成分が活性化させ、ひいてはそれが体調を良くし、結果寿命を延ばすのです。

うちの坊っちゃまも、毎日必ず牛乳を飲んでおられるのですよ」

「牛乳は美味しいですしね」

 つられて彼も嬉しそうに微笑んだ。

 残念ながら、今日は七瀬の身体である為、いつもの『坊っちゃま自慢』はほんの少し、

さわり程度しか聞く事ができなかったが、満足だった。

 傍から見ていても、本当に美味しそうに牛乳を飲んでいる。

「ところで―――以前にいらした時と、随分雰囲気が変わられましたね」

「ふふッ、そうですか」

 そう言われた七瀬の姿をした九龍は、とても上機嫌だった。

「ただ、あなたが纏っている気配、どこかで―――。

‥‥‥‥いや、失礼いたしました。年寄りの戯れ事と聞きながして下さい」

 ふっ、と肩を軽くすくめると、グラスを磨きはじめた。

 

 そう、鋭い洞察力‥気配すら読める千貫すら見抜けなかった九龍の仕種。

 『入れ替わっている』という信じ難い現象が原因ではない。

 少しずつ、少しずつ‥‥九龍が変わりはじめていたからに他ならない。

 いや、変わったのではない、『本来の彼』に戻りはじめているのだ。

 話し方も、仕種も‥ずっと上品で中性、若干女性的なものへ。

 今までの九龍であれば、千貫には見破られていたかもしれないが、あまりにも仕種

が女性として自然であったために気付かせなかった。

 

 そのきっかけが、

 昼休みの皆守との会話だという事は、本人すら気付いていないが‥‥。

 

 




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