＋＋＋6th.　Discovery「時をかける少女」

其ノ壱　＜夢々々の夢の夢＞

　

　

　

　

　一面の白い世界。

　汚れのない、清廉潔白、白無垢、天国の色、天使のはね、

　『白』は本来、良い意味に用いられる事が多い色。

　けれど、

　忘却、恐怖で髪が白くなる、頭の中が真っ白になる、死に装束、死に化粧、

　それと同じくらい、実は怖い表現にも用いられる。

　眼前に拡がる真っ白な空間は、どうやら後者のものらしい。

　

「蛋白質結晶化しました。酵素融合安定しています。第三培養槽の育種に蠕動」

　研究所の中に、感情を含まぬ無機質な声音が残酷なまでに響き渡る。

　ゴボッ‥ゴボゴボゴボッ‥‥

　水音？

「それでは、実験を次の段階に移行しろ」

「まだ、時期尚早ではないか？」

「何を怖れている？我々の計算に誤りはない」

「そうだ」　

「何のために多くの被験体を無駄にしてきたと思っておるのだ？」

「我々には、もう時間が残されていない‥‥」

「早く培養槽を開けるのだ」

「早くしろ―――」

　

「全ての培養槽を開け放つのだ―――」

　

　

　薄暗がりに浮かび上がる白い天井が、先程の夢を彷佛とさせる。

　カーテンを開け、窓から差し込む月明かりを、ゆっくりとその身に受ける。

　月の光が体に纏わりつく何かを、浄化してくれるような気がしたからだ。

　

（はぁ‥‥‥）

　人知れず溜め息が洩れる。

　

　九龍　尚樹は、悪夢で目が醒めるという希有な体験をしていた。

（一体なんだというのだろう？）

　尚樹は生まれて初めて、研究室を怖いと思った。

　彼にとって研究室という場所は、

　とても身近で、幼い頃から慣れ親しんだ場所だった。

　その為、怖いと思ったことなど今まで無かった。

　（まァ、夢だからな）　

　自己完結という名の元に、心の中の疑念を一蹴する。　

　よく心の中の重圧が、夢の中ではカタチを変えて表れることもあるというが、

　今回の夢は全然思い当たる節が無い。

　悪夢とは不思議なもので、

　覚醒してしまえば『何故あんなにも怖かったのか』理解できないものが多い。

　所詮はその類いだろうと片付ける。

　けれど、怖いと感じたのはあの生々しい会話の所為だろう。

　培養槽、実験、多くの被験体‥‥。

　慈悲の欠片など一切含まない、狂研究者の身勝手な発言を思い出すと胸中に苦い想いが込み上げる。

　

（培養槽の育種に蠕動？まったく、どうかしている）

　夢の中では、培養槽で無理矢理に結晶化させられた何かが蠢いたと‥。　

　リアルすぎる設定に気分が悪くなる。

　彼の母方の一族は《超古代文明》の研究、そして応用をしている。

　けれど生物そのものを弄る実験の類いには一切手を出していなかった。

　その為、今回の悪夢は幼い頃の心的傷害＜トラウマ＞から発生したものではない。

（テレビか何かの影響か‥）

　狂科学の産物――、行き過ぎた生物実験ネタは、ゲームや映画の中でよく使われている。所詮は夢、どうせ深い意味など無い。尚樹はそれらの影響だと思うことにした。

　

（寝直そう）

　尚樹はベッドに潜り込む。

　枕にしがみつくと、

　ほんの少しでいい――、ラベンダーの香りが残っていて欲しいと思った。

　アロマテラピーに興味は無かったが、あの香りがあるとよく眠れた。

（無いものねだりをしても仕方がない‥か）

　

　冷たく、静かな月の光を浴びながら目を閉じる。

　

　

　

　

（‥‥煩い）

　ボクシングの朝練習を終えて寮に戻ってくると、

　虫取り網をたずさえ、意気揚々と騒いでいる生徒達で溢れかえっていた。

「アレを捕まえれば一獲千金だぜッ」

「しかも、願いも叶うんだぜッ！これぞ一挙両得ってヤツ？」　

　このところ、たっぷり睡眠をとっても疲れが残る身体。

　一種独特の疲労感が彼の神経を尖らせていた。

　すれ違い様に、一人の男子生徒の肩が彼に当たる。

　

「お、悪ィ悪ィ。ちっこくて見えなかったぜッ」

　はしゃいでテンションの上がっていた男子生徒は、彼にとって万死に値する台詞を吐いてしまう。身長１６７ｃｍと、そんなに小さい訳では無のだが、彼にとってはコンプレックスだった。

　ただでさえ機嫌が悪いところに禁句。彼をキレさせるには十分すぎた。

「朝っぱらから喧嘩売ってんすか？」

　オールバックに極めた前髪。楕円の眼鏡から覗く鋭い眼光が相手を貫く。

　顔を斜に構え、凄んでみせる彼は傍から見れば立派にチンピラだった。

「ああ？お前こそ上級生に喧嘩売るってか」

「俺の喧嘩は高いっすよ」

　意気込む二人に、もう一人の生徒の顔色が文字通り青くなる。

「お、おい‥‥」

「あ？んだよッ、舐められて黙ってられっかよッ」

「止めろって！コイツ‥例のボクシング部最強の‥‥」

「ッ！？」

　一気に熱が冷めてゆく。

「まさか？二年の俺から尻尾巻いて逃げるんすか？センパイ」

　意地の悪い挑発が、上級生の退路を寸断した。

　自らのプライドという下らないものの為に。それが命取りだというのに。

　戦闘体勢に入った彼は、いつでも必殺の拳をくり出す準備は万端だった。

　一触即発の空気が流れる。

　

　「うるさいッ！！」

　勢いよく開いた扉が、ニブイ音と情けない悲鳴とをつくり出した。

　扉に挟まれた上級生は完全に伸びていた。

「俺の神聖な時間を邪魔するとはいい度胸だ」

　彼らが騒いでいた目の前の部屋の住人。

　カレーと惰眠をこよなく愛する男、皆守　甲太郎が不機嫌なオーラ全開で現れた。

「ヒィッ！？み、皆守ッ！！」

　目の前の二年生も十二分に怖いが、睡眠を邪魔された怒りをあらわにした皆守はもっと恐ろしかった。

「いや、悪い‥‥すまないッ！！」

　無事だった方の生徒は、どこにそんな力があったのか伸びた生徒の足首を引っ掴み大慌てで逃げてゆく。

　廊下に静寂という名の安息が訪れる。

「チッ‥ッたく、興醒めっすよ」

「夷澤。喧嘩すんなら屋上と、俺の部屋の前以外でやりやがれ」

「ふんッ、これで俺に貸したつもりなら大きな間違いっすからね」

　

　噛み合わない会話に辟易する。

　皆守は生意気な下級生の相手をするのも面倒になり、ある部屋へと向かった。

　

「おい、尚樹。入るぞ‥‥‥尚‥」

　

　部屋は明るいのに、肝心の部屋の住人が見当たらない。

　だが、よくよく見渡せばまだベッドに横たわったままであることがわかる。

　

（カーテンを開けっ放しで寝ていたのか？）

　

　嫌がらせに起こそうと近づくと、ある事に気がつく。

　

　（顔色が悪いな‥‥）

　

　そっと頬に触れるがピクリとも動かない。

　胸に怒りが込み上げてくる。

　

（無茶ばっかりするからだ）

　尚樹は、遺跡での探索を終えた後はパソコンで報告書をまとめたり、それ以外にも何か仕事をしていた。当然その分睡眠時間は短くなる。だが、尚樹は律儀にも授業中寝るような事はしなかった。何かの錠剤などで補給をしているようだが、そんな生活を続けていればいずれ潰れる。もう少し自分を大切にしろと言ってやりたい。

　けれど当の本人は笑って誤魔化すばかりで生活態度をいっこうに改めないので、強制的に休ませたりする。

（ッたく‥‥‥）

　かすかに寝息をたてる唇に、そっと触れるだけのキス。

（ちゃんと休めよ）

　名残惜しさを拭い去り、静かに部屋を出て行く。

　

　

　

　

　天香学園の某所。薄暗い室内に人の気配がする。

　

　「もう授業が始まる頃か‥‥」

　威圧的な声の主人が目を覚ます。

「これは、坊ちゃま、お目覚めで御座いなすか？」

　渋い、老練な雰囲気をかもし出す老人が声をかける。

「‥‥ああ。うたた寝をしていたようだ」

「今朝方、屋敷にお戻りになられた時にお顔を拝見しましたが、

　随分とお疲れの御様子で御座いましたから、

　無理も御座いませんでしょう」

　老人の声には、心底相手を心配する響きが含まれている。

「‥‥‥‥」

　威圧的な声の主は答えない。

　

「新しく来た《転校生》は、かなりの遺り手のようですな？」

　老人は話を変えた。

「うむ‥‥。よもや《出雲》にまで足を踏み入れようとは」

「‥‥」

　今度は老人が答えない番だった。

　

「まァいい。《転校生》が、どれほどの才能を持っていようと、

　最下層の玄室まで辿り着く事などできはしない」

「左様ですな」

　そう答えた老人の声には、心なしか哀愁の響きがあった。

「最近、よく夢を見るのだ。同じ夢を‥‥」

「夢‥‥で御座いますか？」

　突然振られた話に、言葉を反芻する。

「そうだ」

　主人の為に言葉を探す。

「夢は―――自分自身の無意識の問いに対する答えだといいます。

　その人の心の奥底に押し込められた問いかけに対する‥‥」

「人は、常に自問しながら生きている。

　この学園にいる生徒や教師たちも例外ではない。

　自分は、何を学ぶべきなのか？自分は、何を仕事とするべきなのか？」

　

　　ひと呼吸おく。

　

　「自分は―――」

　

　　しかし、言葉は最後まで続かなかった。

「‥‥‥？」

　

「自分は‥‥どこから来て、どこへ向かうべきなのか？」

　永遠に答えのでない禅問答は、彼の生き様のようだった。

「‥‥‥」

「その問いに対する答えが、夢で得られるというのなら、それも悪くはない。

　人間は、微睡みの中で答えの得られる日をまっているのだ‥‥」

　

「う‥ううん」

　寄り添うように寝ていた、妖艶な女生徒が目を覚ます。

「起こしてしまったか？」

「ふァ〜あ‥‥。

　何かあったんですか？」

　

「真里野が、九龍　尚樹に接触した」

　

　眠そうだった女生徒がそのことに驚いた。

　真里屋が？

　今まで《執行委員》でありながら、《生徒会役員》の命令でも動かなかった者が、

　何故、今頃になって？そういえば‥‥

「数日前から様子がおかしかったわ。もしかして、何か関係が―――」

「下らない詮索はするな。

　自らの使命を思い出しただけかもしれん」

　そう言った声の主人は、何かを知っているかのようだった。

「それは、そうですけど‥‥‥」

「その答えはもうすぐ出る。《転校生》との戦いの中でな。

　真里野は、今までの者のようにはいかないだろう。あいつには、あの剣がある。

　《呪われし力》により人を超越した剣の《力》がな」

　

「‥‥‥そうね。今度も、《転校生》は《執行委員》の魔人をたおせるのか―――

　それとも、真里野の《力》の前に散るのか―――

　ゆっくりと見物させてもらいましょう‥‥。フフフッ‥‥‥」

　

　

　

　

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