＋＋＋5th.　Discovery「星の牧場」

Act3　＜言葉に偽り、くちびるに嘘＞

　

　

　

　高さ２．４０ｍのネットを超え、白い球体を敵地へ向かって思いきり叩きつける。ボールは大きく弧を描きつつ、守りの手を掠め地面に落ちる。

「ナイスサーブッ！」

「よっしゃぁッ！ナイス九龍！！」

「クッソ〜〜〜ッ」

「もっと手加減してくれよ〜」

　賛否の嵐が沸き起こる。

　調子に乗ってもう一本いこうと思ったところで、６時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

「よーし、集合ー」

　体育教師の呼び声に、まばらながらも集まりはじめる。

「ちぇ‥残念」

　仕方なくバレーボールを手放した。

　

　「やれやれ、ようやく終わったか‥‥。まったく、午後の体育ほどダルいもんはない」

　見事に、やる気というものを何処かへ捨ててきている皆守は、アロマを吹かしながらボヤいている。御愁傷様。

　お昼休みから屋上でゴロゴロしていた俺達は、雛川先生に見つかってしまい、強制的に授業に出るハメになったのだった。

「――大和の奴は、結局また早退だし―――、」

　にわかに校庭の方が騒がしくなる。

「キャーッ！！」

「何だ？女子のいる校庭の方だな」

　嫌な予感がする。

　皆守と体育館から校庭の方を伺うと。

「あ、明日香ッ！！大丈夫ッ！！」

　口々に明日香を心配する声が聞こえてくる。

「どうかしましたか？」

「先生ッ、明日香がッ‥‥、八千穂さんが、急に倒れてッ‥‥」

　動揺する女子生徒が、教師に状況を報告する。

　明日香は教師に背負われると、保健室へと運ばれて行く。

「‥‥‥‥‥クッ」

　何か起こってからでは遅いというのに‥。自分の危機管理の甘さに怒りが込み上げる。

「ちッ、やっぱりこうなったか。どうする、九龍。様子見に行くか？」

「ああ‥。勿論俺は行くよ」

　声を押し殺し、爪が手の平に食い込むのも気にせず拳を力一杯握る。

「ふん。聞くまでもなかったか」

　アロマを一息吹いた。

「まァ、クラスメートの一大事だ。様子くらいは見に行ってやるか」

　何故か、取って付けたような理由を口にする。明日香の様子を見に行くのに、何か理由を付けなければ行動できないのだろうか？ふと、考えてみれば、今までは人に関わる事をしていなかった皆守が、こうして人と関わるには自分に言い聞かせなければならないような葛藤が、内面にあるのだろう。難儀だな。

　

　二人で急いで保健室へ向かう。

「おや、やっぱり来たか。なんだかんだいっても、やはり君たちは友達思いだな」

　扉を開けると椅子に座った瑞麗先生が、キセルを吹かしながらこちらを振り返った。タバコを吸う余裕があるのならば、明日香もそんなに危険な状態では無いのだろう。

「勝手に決めるな。そんなことより八千穂はどうなんだ」

「うむ、随分と衰弱している。だが、元々丈夫な子だからな、しばらく安静にしていれば心配ないだろう」

　取り返しのつかない事にならなくて良かった‥。とりあえずは一安心する。

「九龍、君は彼女がこうなった原因に心当たりはあるのかね？」

　そう問われて思い出すあの人物。俺は静かに頷いた。

「ならば君もすでに気がついている事だろう」

　瑞麗先生はキセルを置くと、話しはじめた。

「こういった症状で運ばれてきたのは、彼女が初めてではない。彼女の皮膚には、他の者同様微量な病原微生物＜ウィルス＞と思われる物が付着していた」

「病原微生物＜ウィルス＞―――？」

　意外な言葉に、皆守が単語を繰り返す。

「そうだ、恐らく、これらが体内に入り込み、正常な身体機能を阻害したのだろう」

　事も無げに説明しているが、高校のたかが校医にしては随分と調べ込んでいる。普通は休養と薬による処方を試みるだけであろう。だが、この先生は原因をしっかりと突き止めている。それも皮膚に付着した微量な微生物など、よく発見できたものだ。

　明らかに校医のレベルを超えている。

　ふと、疑問が浮かぶ。しかし、アレが原因だとするならば‥‥。

「病原性微生物であれば、もっと犠牲者がでていてもおかしくないと思うのですが‥」

「ああ。だが、この病原性微生物自体は、それほど生命力の強いものではないらしい」

　何故か他の人間から聞いたようなニュアンスが漂う。確かに、保健室内を見回しても、微生物の性質を調べられるような設備はないので、外部に研究依頼をしているのかもしれないが‥‥それにしても手際がいい。

「それ故に、継続的に摂取することで威力を増すもののようだな」

「‥‥成る程」　

　熱心な者から犠牲になっていく仕組み‥か。

「‥‥‥《隣人倶楽部》か‥‥」

　皆守が呟くと、瑞麗先生は面白いものでも見つけたように微かに笑う。

「フッ、君にしては情報が早いな。いつもは他人の事などどうでもいいという顔をしているのに」

「勿論、どうだっていい」

　‥‥‥‥嘘つき。人には聞こえないように小さく呟く。

　俺は、皆守の言葉と行動が必ずしも一致しているわけではない事を知っている。口ではなんだかんだといいながら、色々と世話を焼いてくれる。

「ただ、九龍の近くにいると――」

「否応なく、トラブルに見舞われるんですよ」

　そう、俺の所為。

　皆守の言いたい事を途中から引き継いだ。

　こちらに顔を向ける皆守と目が合うと、自然と笑みがこぼれた。

「‥‥ああ。俺は毎度、巻き込まれてるだけだ」

　憮然とした表情。

「だが、それが不快ではないからこうして九龍と行動を共にしているんだろう？」

「‥‥‥‥‥」

　いや、喜んでトラブルに首を突っ込みたいと思う人間は早々いないかと‥。ほら、皆守黙っちゃったし。

「ははは、何にせよいい傾向だよ。君にとってもな。そうして人と関わる事を避けずに生きていけば、いつかアロマも必要なくなる」

　皆守からアロマが無くなる？

　瑞麗先生の口ぶりでは、あいつの問題にはやはり人が関わっている。それもあのラベンダーの香りが女性を連想させる。確かにラベンダーには、強い癒しの効果がある事は有名だ。だが、男があの香りに辿り着くには、誰かのアドバイスがあったのか、それとも何か関連があるのか‥‥どちらにせよ、自分一人ではあれを使う事など思い浮かばないのではないだろうか。

　鮮烈な香りを常に身に纏う皆守。いかに癒しといえど、あんなに強いものを四六時中愛用していあいつは、病的なまでに病んでいるとしか思えない。きっと、それだけの想いがあるのだろう‥‥。俺などには分からない何かが‥‥。

「九龍のようないい友達もできたことだしな？」

　突然振られた会話に内心戸惑う。だがそんな事は顔に出さない。

　友達とは違いますよ、きっと。

　微笑み、誤魔化すことにする。

「フフフッ。君は素直な子だな」

　どうやら先生にはバレなかったようだ。

　しかし、皆守は黙ったままで、否定も肯定もしなかった。

　

「くそッ、こんな事ならわざわざ来るんじゃなかった。とっとと帰―――、」

　

「ん‥‥‥」

　か細い声が、ベッドを仕切る薄いカーテンの向こう側から聞こえる。

「おっと―――。誰かさんが騒ぐから起こしてしまったようだな」

「明日香ッ！」

　慌てて駆け寄る。瑞麗先生には大丈夫だと言われたが、やはり心配だった。

「あ‥‥れ‥‥‥？尚樹クン‥‥、皆守クン‥‥？」

　元気で、自分から輝きを放つ少女。だが今は、その顔は青白く、痛々しいくらいに弱っていた。

　心配が自分への苛立ち、怒りへと変わる。

　何かが起こってからでは遅いのだ。そんな事は、あの遠い昔―――あの日から分かりきっていた事だろうッ。失ってからでは遅い。俺はまた、過ちを繰り返すのか？

　本当に俺はバカだ。自分の愚かさを激しく呪う。

「尚樹クン‥‥。少しは心配して、くれた？」

「‥‥ああ、当たり前だろ。明日香に何かあったら‥‥ッ」

　目頭が熱くなるのを抑えられない。

「尚樹クン‥‥。うん‥‥‥ごめんね。余計な心配かけちゃったよね」

「‥‥‥ッ」

　言葉が詰まって出てこない。俺は首を横に振るのが精一杯だった。

　

　

「明日香をお願いします」

　深く一礼すると、保健室を出た。

　取手‥‥椎名のように‥‥か。先程の皆守の言葉を思い出す。

　ああ、きっとタイゾーなる人物も救いだされたいと願っているだろう。だが、今までは何とか、いや、たまたま救いだせただけであって、今回も上手くいくとは限らない。

　俺は彼を救いだす事ができるのだろうか？彼が救いだされたいのは分かる‥。だが、明日香をあんな風にしてしまった人間を、果たして許す事ができるのだろうか？悪いが俺はそんなにお人好しじゃないし、心も広くない。

　だが彼を助けて欲しいと切に願う明日香には、救いだしたいと言ってしまう。

　思っている事とは違う事を言うなんて、昔からやってきた。そんな事は、自分にとっては当たり前だったはずだ。なのに‥何故こんなに苦しい？

　苛立ちと苦しさを抑えきれず、右手でつくった拳で思いきり壁を殴りつける。

　

　廊下に響く鈍い音。

　

　だが、手に伝わる感触は、予想していた硬く冷たいものではなかった。鈍い音は、俺の手を包み込む温かなものを介して伝わった。

「皆‥守‥‥」

　向かい合う形で佇む皆守。皆守の手によって保護されたという事実に、何と言って言葉を発すればいいか分からない。

　固まったままの俺の手を、何食わぬ顔で下にさげる。

「‥‥まったく‥‥。どいつもこいつも。一体、いつからここはお節介の溜まり場になったんだ。なァ―――白岐」

　振り返ると、髪の長い少女の姿。‥‥ッ！？人の気配も感じられない程に、取り乱していた自分の失態を恥じた。

「八千穂さんの具合は？」

　押さえつけていた声を、無理矢理引き出したかのような儚い声。

　常に自分を押さえ、何かに耐える印象を受ける。この子も皆守のように、人を避けようとする傾向があるが、見ていて非常に辛そうだ。皆守のソレは自分の為だが、白岐の場合は、まるでそうしなければいけないといった事情があるように見える。

　明日香の事を気にしてはいるが、その事情の為に関わりたいが関れないといった感じだ。とりあえずは、大丈夫だと言うことが分かると、すぐに話題を変えた。

「《汝の隣人を愛せ》―――。あの集まりでは確かにそう説いている。彼らは魂を吸い取られ、衰弱しきっていく事すら幸せへの道と信じて疑わない。愛すべき隣人の為に、何もかも差し出す事が幸せへの道だと‥‥。けれど、その言葉だけが一人歩きをして、本来の意味を損なっている」

「ああ、そうだな」　

　自己犠牲など決して人の為ではない、自分の為だ。《汝の隣人を愛せ》とは、そういう意味じゃない。

「《汝の隣人を愛せ》―――。九龍さん、あなたは、この前に語られるべき言葉を知っている？」

「汝自らを愛するが如く――」

　ああ、あいつの《教え》からはそんなものが微塵も感じ取れない。それどころか、皆から吸い取ったエネルギーを、たんまりと己の身に貯え込む悪の権化にすら見えてしまう。

「《汝自らを愛するが如く、汝の隣人を愛せ》―――。裏を返せば、自らを愛する事なく、他者を愛する事などできないという事‥‥。あの倶楽部で教えを説いている者に欠けているのは、まさにその感情‥‥」

「自らを省みない者に、真に他者を思いやる事などできない、か‥‥」

　皆守の言葉に胸が痛む。

「そう。だからこそこんな悲劇が起こる」

「‥‥‥どうしてそんな事をわざわざ俺たちに？いや―――ひょっとすると、九龍に‥‥、ってのが本音じゃないのか？」

「‥‥解らない‥‥。私自身も、九龍さんに何を期待しているのか‥‥。彼女が倒れた事にどうしてここまで動揺しているのか‥‥。私にも、よく解らないの‥‥」

　白岐のこんな姿を見るのは初めてだった。それだけに明日香が倒れた事で、かなりの衝撃を受けたという事が分かる。

　いつか彼女自身が言っていた、仮初めの平穏に限界が来たのではないだろうか。

　去り際の彼女は悲しそうな顔をしていた。

「あ、おい――。相変わらず解らない女だ。‥‥とにかくまずは着替えに戻ろう。話は―――それからだ」

　

　

　静かな更衣室で黙々と着替える音だけが響く。

　先に着替え終わった俺は、皆守に視線を移す。いつもなら、あいつの方が早く終わるのだが、さすがに今は利き手が不自由である為に、普段よりゆっくりと着替えていた。あいつの手の甲は赤く、一部はすでに紫色に鬱血していた。その手を見て、あらためて自己嫌悪と罪悪感が募る。

　あの時、自分の中の感情を処理しきれずに、壁を殴ろうとした俺の手を皆守が庇ってくれた結果だった。

　謝罪しようと、恐る恐る声を掛けた。

「あ‥の、皆守‥‥」

「それにしてもまさか、白岐が八千穂の事を気にしていたとはな。あとであいつに教えてやったらきっと喜ぶぞ」

「えッ、あ‥ああ。そうだな、明日香は白岐と仲良くしたがってるから」

「‥‥‥なァ、九龍。これからちょっと噂の倶楽部に顔を出してみないか？」

「あ、ああ‥勿論」

「ああ‥‥。さっきから妙にイライラするんだ。ともかくそのタイゾーとやらの顔を拝んでおかないと、収まりそうもない。―――行こうぜ」

　

　先に部屋を出る皆守の背を見ながら、気がつけば自分の胸元を強く押さえていた。

　

　

　

　謝罪のタイミングを逃したまま、デジタル部のある４階へと向かった。

　

「ここか‥‥。ここで一体どうやって病原微生物＜ウィルス＞を‥‥」

「ようこそ《隣人倶楽部》へ〜」

　昼間出会った、可愛すぎる声の主。

「ここは神の牧場。誰もが等しく救われる権利を持つ場所でしゅ」

　聖書でも持たせれば人の良い神父に見えなくもない。

「あれ―――？誰かと思えば、九龍くんでしゅ！！また会えて嬉しいでしゅ〜！！」

　なんて、なんて嬉しそうな顔をしてくれるんだろう。

「九龍、お前こいつと知り合いなのか！？」

「そう。今さら驚く事でもないだろ」

　解るだろう？

「そういうキミは誰でしゅか〜？」

「‥‥皆守　甲太郎。こいつと八千穂のクラスメートだ」

　名を名乗る皆守は酷く不機嫌そうだった。

「そうなんでしゅか〜。じゃあ、八千穂たんがどこにいるか知らないでしゅか？」

　椎名の時とはまた違った、無邪気さ‥いや違う。無垢なのか。椎名の時は、『死』に関する想い出を失い、無邪気さ故の残酷さがあった。

「肥後とかいったな。‥‥お前の目的は一体、何なんだ」

　咎める皆守に対して肥後は‥。

　

「何の事でしゅか〜？」

　首を軽く傾け、不思議そうに俺たちを見ている。無駄だ、皆守。この子は何も知らない。分からないんだ。

　それでも皆守は問いつめる。

「ボクの作る光はすごいのでしゅ。電気を介して広がって星のようにきらきらと輝いて、モニターの中に救いを求めるみんなの元に届くのでしゅ。そして、悪い心なんてあっとゆう間に吸い取って――――」

　うっとりと自分のしている事を語る肥後。この子の場合は、純粋に自分が人の為に素晴らしい事をしていると、信じて‥信じて誤った事をしてしまっている。自分を愛する事を忘れているだけで、人への愛情はそのまま‥‥か。なんて哀れなのだろう。

　自分の中に燻っていた怒りは形を潜め、憐憫が姿を現した。

　人の為にとやっていた事が、実は人を不幸にしていた。知らないでやっていた事とはいえ、その罪は重い。無知は言い訳にならない―――。

　だがしかし、もし自分が肥後と同じ立場であったなら？

　酷く恐ろしかった。よかれと思ってやっていた事で、多くの人間を傷つけていたら、その事実を知った時、俺はどうなるだろう。

　

　

　耐えきれるだろうか？

　

　

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