＋＋＋3rd.　Discovery「あの炎をくぐれ！」

第四幕　＜Beautiful Morning＞

　

　

　

　カーテンの隙間から零れるお日さまの光が心地よい。

「やっと‥朝が来ましたのね」

　寝台から体を起こすと、レースのついたカーテンを開く。

　目は閉じたまま、やわらかな陽射しを受け止める。

　ゆっくりと目を開けると、雲ひとつない綺麗な青空が広がっていた。

「よかった‥‥」

　心の底から安堵する。

　やっぱり天気がいいほうがいい。

　なんといっても、今朝は大事な大事な約束があるから。

　九龍クンと屋上で朝ごはんを食べるという約束が―――。

「さぁ、支度しましょう」

　ネグリジェの裾を勢いよくひるがえし洗面台へと向かう。

　ふふッ‥、九龍クンと逢うのがこんなにも楽しいなんて不思議。

　初めて話した時は、なんて嫌な人だろうと思った。

　悲しみを押さえつけた酷く儚い微笑み。

　――どうして貴方はそんなお顔をするの？

　――どうして貴方の微笑みを見ていると胸が苦しくなるの？

　

　今なら理解することができる。

　貴方が私の大切な想い出を見つけだしてくれたから。

　あの時の貴方の顔が、言葉が忘れられない。

　

　化人創世の間で私を救い出してくれた貴方の――。

　

　

「ようこそ、九龍クン。

　やっぱり来たんですのね。

　それはつまりィ、『死』を恐れてなどいないって事ですよね？」

　

　確認したかった。

　『死』などたいした事ではないと。

　

　不粋な鋼鉄の武器を身に纏った貴方は、今にも泣き出しそうな笑みを浮かべながら答えてくれた。

「――恐いよ」

　短いけれど、とても想いのこもった言葉。

「ではどうしてこんなところまで来たんですの？‥‥おかしな人」

　チクッ

　失っていたはずなのに、確かにあの時は胸が痛んだ。

「本当に失っているんだね。

　君は本当は知っていたはずだ。それがどんなに重く辛い現実だということを――」

「な‥にをいってるんですの？

　『死』なんてたいしたことじゃないですのッ！

　この遺跡にだって、死んでしまった人は迎えにいくことができるって‥‥

　伊邪那岐の神様は伊邪那美の神様を黄泉の国まで迎えにいったですのッ！！」

　

「そう？日本の代表的な神話だね。

　でも思い出して。伊邪那岐は愛しい伊邪那美を連れ帰ることはできなかった」

　

「‥‥ひッ！？

　うッ、嘘ですの‥‥‥。お父様は死んじゃったベロックを‥‥、

　代わりに新しいベロックを連れてきてくれましたのッ！」

　

「そうか‥、娘を大切に想うが故の父の行動か。

　それで、お母様はどうなったのかな？やっぱり新しいお母様がきたのかい？」

　

　強い意志が灯る両の瞳に真直ぐ見据えられる。

　

「お母様‥‥、お母様は‥‥‥」

　

　大切な想い出を失っていたリカは、貴方の言葉を、そして想い出すことを拒絶した。

　なんでこんなに苦しいの？

　リカ辛いのは嫌ですのッ！

　こんな思いをさせる貴方なんて大嫌いですのッ！！

　

「さあ、あなたの望む罰を差し上げますわ――」

　

　リカの宣言を合図に戦闘が始まる。

　用意していた、大きな蜘蛛のカタチをした細掃に囲ませる。

　あなた達なんてやられてしまえないいんですの。

　

　そう思ったけれど貴方は想像以上に強かった。

　鋼鉄の咆哮が木霊する度に、細掃が嫌な音をたてて千切れ飛ぶ。

　一発一発確実に、細掃の弱点である胴の繋ぎ目を狙っている。

　数の多い敵がどんどん近づいているというのに、恐いくらいの冷静さ。

　

「なかなかやりますのね‥。でもそんなペースじゃ倒しきれないですの」

　

　細掃なんていっぱいいるのだから。

　どんどん貴方の周りに集まっていく。　

　

　けれど、貴方は微かに笑った。

　「きゃッ！？」　

　途端に弾ける爆音。普段聞き慣れているはずなのに驚いてしまった。

　集まった細掃の群れに手榴弾を投げ込んだ。

　傷つき怯む細掃に、持ち替えた鋼鉄のカタマリを向ける。

　今度は連続でいっぱいいっぱい、鉛の弾がシャワーのように降り掛かる。

「八千穂ッ！！」

　そう呼ばれた、昼間出会った彼女はテニスのラケットを勢いよく振り上げる。

「いっくよーッ！！」

　弾け飛んでいくテニスボールと鉛の塊とで、あっという間に細掃が動かなくなる。

　

　訪れる静寂に夢でも見ているような錯角に捕われる。

　よく見ると、まだ山のような屍骸の中に１匹だけ動けるものがいた。

　傷つきながらも、戦いの本能が逃走を許さない。

　貴方に向かって糸が吐き出される。

　けれどその糸は貴方に届かなかった。

　戦いの最中だというのに、悠長にアロマを吹かす男がよろめき、寄り掛かった所為で当たらなかったのだ。すぐに体勢を立て直した貴方は、最後の細掃に止めを刺す。

「やっぱり、リカがやるしかないんですのね‥‥」

　リカの武器はこの箱だけ。

　この箱を媒介に、分子と分子を振動させて爆発させる。

　箱を持つ手に力が入る。

　これは、鋼鉄のカタマリ程射程は長くない。

　近づかなければ‥‥。そう思った時―――、

「八千穂ッ！皆守ッ！！下がれッ！」　

　仲間に向かって、これまでにない強い口調で命令する。

「おいッ、九龍ッ！！」

「ちょっと‥‥九龍クンッ！」

　仲間の制止を振り切り、貴方はリカに向かって走ってくる。

　どうして？

　そのまま攻撃すればいいのに‥‥‥。

　

　ああ、そうか。

　やはり貴方は『死』なんて恐くないのね。

　

「ポイッと〜」

　リカにとっては好機だったので、箱を思いきり投げつける。

　

　だが、好機だと思ったのは間違いだった。

「‥‥ッ！！！」

　リカの投げた箱を避けるでもなく、数歩だけ前に出る。

　箱が爆発する。

　炎の中から貴方は飛び出してきた。

　爆風をも利用してリカの背後に移動する。

　

「あッ、後ろを‥‥ッ！？」

　踵が熱い。

　痛さと熱さで立っていられなくなり、床に手をついた。

　振り向こうとした時にはすでに攻撃を受けていた。

　

　

「な‥‥、なんですの、これは‥‥。リカの体が―――！！」

　

　全身に力が入らなくなったと思った途端、体中が熱くなる。

　嫌ッ！な‥なんですのこれはッ？

　リカの体から《黒い砂》のようなものが溢れ出た。

　《黒い砂》はまるでそれ自体が生きているかのように蠢き、ひとつの型を作る。

　

「い‥‥伊邪那岐」

　

　直感的にそう言っていた。

　大きな壷の本体。壷に画かれた顔がジロリとリカを睨みつける。

　

「嫌‥‥恐い‥‥‥」　

　逃げたいのに逃げれない。

　伊邪那岐の口がゆっくりと開かれる。

　衝撃波が襲い掛かる。

　恐さと諦めの感情が両の瞳を閉じさせた。

　

「え‥‥？」

　覚悟していた衝撃は来なかった。

　

　驚いて顔を上げると、貴方が正面から攻撃を受け止めてくれたことがわかる。

「あ‥あ‥‥‥」

　声が出ない。

　リカの爆弾の所為で、その背中は焼けこげていた。

　いくら防具をつけていたとしても、生身の皮膚はただではすまない。

　動く度に体は悲鳴をあげるはず。

　なのに‥なのに貴方はリカをかばってくれるの？

　

「大‥丈夫。アレは俺が倒す‥から」

　振り向いた貴方の笑顔は壮絶だった。

　痛みに耐え、それでも尚、困難に立ち向かう貴方は気高く美しいと感じた。

　

　　

「まだ、時間には早いのに‥‥」

　気合いを入れて支度をしたが、はやる気持ちが約束の場所へと足を動かせる。

　静かな校舎の階段をひとつひとつ昇っていく。

　屋上までの距離がもどかしい。

　ひとつ、またひとつ進んでいく。

　

　ようやく最後の段を昇りきる。

　屋上へと続く扉を開けると、強い風が吹きつける。

　慌てて目を閉じ、風がおさまるのを待って目を開ける。

　眼下に広がる蒼天に心奪われる。

　

「こんなにも空は綺麗だったのね‥」

　

　もう一度、今度は天に向かって瞳を閉じると、お日さまの光をその身に受ける。

　目を閉じていても眩しいが、とても気持ちよかった。

　まるで、あの時の光のようで―――。

　

　

　　貴方が倒した伊邪那岐は、光の粒となって立ち上る。

　そして後に現れたのは古いオルゴールだった。

　

　そっと、オルゴールを手に取ると、貴方はリカの前に掲げてくれた。

　蓋を開き、優しい音色が流れ出す。

　

「あッ―――！！そのオルゴールは―――」

　

　数年前、あの時の教会での想い出がよみがえる。

　

「リカ‥‥。私の可愛いリカ‥‥。お母様はね、もう戻ってこないんだよ。

　お母様もベロックと同じお空の向こうの世界へいってしまったんだ‥‥‥‥」

　

「そんなの、ウソッ！！

　お父様、どうしてそんな事いうの！？

　だってベロックは、お父様が連れて帰ってきてくれたじゃない」

　

　小さい頃、大好きだった犬のベロックを、いうことを聞かないからといって石で叩いてリカは殺してしまった。

　ベロックが死んでしまったことをお母様は説明してくれた。

　この世界に暮らす生き物はみんな『限られた命』があることを‥‥。

　

　けれど『死』を理解できないリカを悲しませないために、お父様がよく似た別の犬を用意してくれていたのだった。

　

「すまない、リカ。私はただお前を悲しませたくないだけだったんだ‥‥。

　お前の悲しい顔を見たくなかった‥‥。

　いや――その悲しみからお前を救うことができない己の無力さが恐かったんだ。

　本当はただ、私こそが恐れていたのかもしれない。現実という名の炎を‥‥」　

　

　お母様はもう戻ってこない。お母様の代わりはいない。

　けれど、お母様がいないのはもっと嫌だった。

　泣きじゃくるリカにお父様は優しく教えてくれた。

　

「‥‥‥大丈夫。お母様は、いつでも私たちのすぐそばにいるよ、リカ」

「え‥‥‥？」

「このオルゴールを覚えているかい？」

　

　もちろん覚えている。

　これは、リカが生まれた時に、お父様とお母様がくれた大切なオルゴール。

　リカが幼い頃に、３人で幾度も一緒に聴いたのだから。

　

「目を閉じて、想い出してごらん。お母様の姿が―――見えるかい？」

「うん‥‥」

「お母様がいなくて寂しいと思ったら、いつでもこのオルゴールを開けてごらん。

　私たちが忘れない限り、お母様はいつまでも私たちの心の中にいるよ。

　ずっと―――」

　

　お母様はリカの心の中にいつもいる。

　

「リカ―――梨花。

　恐れないで、愛しい子。

　現実という名の炎を勇気を出してくぐれば、そこには、

　あなたの望むものを手にすることのできる世界が広がっている―――。

決して目を背けずに、飛び込んで行くのよ。梨花―――」

　

　

　

　ごめんなさいお母様。

　死んだ人は二度と戻らないって‥どうして忘れてしまっていたのかしら‥‥。

　お母様はいつでも心の中にいたはずなのに、

　どうしても寂しくて―――

　気がついたときには、その寂しさごと、大切なものを失っていた。

　あの《黒い砂》によって。

　

　悲しみに負けないように、もっと強くなりたい。

　困難に立ち向かい、それでも微笑むことができる九龍クンのように。

　今度こそ心に大切なものをちゃんとしまって―――。

　　

　

「遅れる遅れるッ！！」

　勢いよく屋上の扉が開かれる。

「‥‥ッはぁ、‥‥ゴメン、待たせちゃったね」

「まぁ、走ってきましたのッ？」

「あはは、準備に手間取っちゃってね、中身が崩れない程度に走ってきたよ」

　大事そうにピクニック用の大きなバスケットを抱えていた。

「そんなに急がなくても大丈夫でしたのに‥」

　屋上へは早めにきていたのだが、気がつけば約束の時間をほんのちょっぴりだけ過ぎていた。

　クスッ‥。

　ここまで時間を気にしながら走ってきた九龍クンを想像して笑ってしまう。

「今の九龍クンは、不思議の国のアリスに出てくるウサギさんみたいですの」

「そう？俺がウサギなら椎名はアリスだ」

　にこやかに応えてくれる。

　なんて素敵な笑顔‥‥。

　

　あの出来事の後、一緒に朝ごはんを屋上で食べようと誘ってくれた九龍クン。

　全部用意するからと言っていた九龍クンは、バスケットから次々に色々なものをとりだす。

　

「なんだか可愛らしいですの」

　硝子で出来たティーポットの下に、同じく硝子で出来たランプが置かれている。

　ティーポットにお茶に適した軟水のミネラルウォーターを注ぐと、固形燃料に火を灯し、お湯を湧かし始める。

「まるでリカがよく使うアルコールランプみたいですの」

「あ、なんか連想しちゃうかも」

　ふふッと、顔を見合わせて笑いあう。

　そして、お湯が湧く間に食べ物をセッティングする。

　野菜たっぷりサーモンのベーグルサンドに、バナナのベーグルサンド。小さな器に色良く盛りつけられたフルーツサラダ。

「まぁッ、まさかこれ全部九龍クンが？」

「そーだよ、ちょっとマミーズの調理場を拝借してね」

「すごい‥‥」

「そう？ちょっぴし感動してくれた？」

　うんうんとコクコク頷いてしまう。　

　リカの為にこんなに準備してくれるなんて‥‥。

　

　けれど感動するにはまだ早かった。

　お湯が湧くと、鮮やかな手つきで煎れてくれたミルクティー。

「どうぞ」

　とびきりのスマイルつきの紅茶。

　ゆっくりと口に含むと、途端に広がる程よい甘さといっぱいの幸せ。

　今まで飲んできたどの紅茶よりも美味しかった。

「紅茶のお味はいかが？」

　素敵な朝食に、隣には優雅に微笑む貴方。　

　こんな幸せな朝を迎えたのは初めてですの。

　

　　なんて、‥‥なんて素晴らしい朝なんでしょう！

　

　

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